関ヶ原

最近の私の心のモヤモヤした部分を言語にしてみる。

立て続けに、「若手市長」への批判・バッシングがソーシャルメディアを騒がせた。
美濃加茂市長には、今回の賄賂贈収疑惑への市民へ真を問う選挙での選挙費用について、西宮市では学生への講演の中での市長のタバコを吸っていた発言について。

どちらも市長が対応した後のご本人やまわりのシェア・拡散で知ったのだけれど、その対応の速さ、本質をついた反論意見、逃げずにまっすぐ向き合う姿勢、など、その人柄を表すような思わず応援したくなるような対応だったように思う。

同時に、出る杭は打たれる、多くの民意を反映したかのようなメディアという顔の見えない相手に戦っていく、自分を消耗させるような戦いに、辟易し、恐ろしくも感じる。
もし自分がそこに立ったら、どんなに苦しいだろうと想像してしまうからかもしれない。

話は変わるけれど、最近、司馬遼太郎の関ヶ原を読みはじめた。秀吉亡き後も豊臣家を守りたいと願う石田三成という人物を中心に、古タヌキの徳川家康がどのように豊臣家の天下を“盗んで”いくのかを描いている。

上巻の大部分は、石田三成の正義・まっすぐな生き方がことごとく、諸侯にも、民にも伝わらず、空回りしている。対照的に、豊臣家のためと涙を流し大芝居ができる徳川家康が武将の心をつかみ、民の心をつかみ、世の中を動かしてく。

なんとも、いつの時代もこのようであるのかと思う。

人の心、言葉、世の流れとは、なぜ突然凶暴になるのかと恐ろしく思う。
きっと、誰が悪いわけでもなく、そのような状態になってしまうことを、知らねばならない。いつの時代もそうだったのだから。

世の中は、恩だけでは動かない。人は利で動くのだ、という、石田三成の参謀島左近の言葉が印象的だった。その点、世を意のままに操り、天下泰平の世を築いた徳川家康から学ぶことが多そうだと思った。

結局、まとまらないブログを書いてしまった。まぁ、いいか。

コメント